大家族制度の崩壊と保険の大衆化

大家族制度の崩壊と保険の大衆化による変化

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経済復興の進む中で、事業所数と雇用の増加に伴い、企業における福祉制度のひとつとして、団体定期保険の利用者も増加傾向にあった。更には、保険の大衆化により、個人による契約が増加した。

 

大家族制度の崩壊と保険の大衆化による変化

 

核家族化と家族の保障重視

 

1948年以降、大都市への職場集中に伴い、人々の生活の場も地方から都市部へと移り、これまでの大家族制度は崩壊。核家族化による各世帯ごとの生活における保障の重要性が広く認知されるようになり、小額な保険料の負担でより大きな保障へと給与取得者のニーズは高まった。

 

生活の保障に対するニーズに応え、1955年、保険会社各社は、それまでの養老保険における保障部分をより充実させた定期付養老保険の販売を一斉に開始した。それに伴い、保険の大衆化も始まることとなり、生命保険は契約者数を劇的に伸ばす結果となった。

 

 

定期付養老保険が主力に

 

日本経済の急成長に伴い、定期付養老保険の人気は年々増加し、1958年末においては4兆4640億円の保有契約高となり、国民所得に対する保有契約高の占める割合は94%を記録し、戦前における最高水準まで回復をみせた。最初の生命保険会社が開業された明治10年代〜20年代においては、終身保険がその契約の大半を占めていた。

 

その後、養老保険の契約高は少しづつ増加し始め、終身保険と養老保険の保有割合がほぼ同数となったのは明治30年代の頃であった。更に大正末期の頃においては養老保険の占める割合は90%近くにまでなった。

 

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大型保障ブームの到来

 

養老保険から定期付養老保険へと生命保険の中心的な商品が変化した背景には、保障割合に対し高い関心が集まったことがあげられる。発売当初における定期付養老保険は、養老保険と定期保険の割合は1:1であった。

 

その為、死亡した場合における保障は満期の2倍になるものであった。その後の昭和40年代半ばにかけて、保障割合は徐々に拡大し、40年代の後半以降においては、10倍型や15倍型保険が生命保険の主力商品となった。

 

経済成長による労働者所得の増加と、インフレの進行による物価上昇を背景に、生活保障に対する需要は急増に合せて、保険に対しては貯蓄性よりも保障性の割合に対する関心が高まった。更には自動車社会の発展による交通事故の多発や、不慮の災害、事故が増えたことにと、病気入院などによる医療費の増加により、家族に対する保障の額も増加したことが背景にある。



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