損害保険の進歩について

モータリゼーションの発達と損害保険の進歩について

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幕末から明治維新にかけ、開国によって貿易業が栄えたことを背景に、保管される輸入貨物に火災保険が掛けられるようなってから、日本における近代的損害保険制度が始まった。

 

モータリゼーションの発達と損害保険の進歩について

 

貨物保険から船舶保険への変化

 

明治維新の時代、横浜の保税倉庫には、外国の保険会社により火災保険を掛けられた多くの貨物が保管されていた。1881年には、70を超す外国の保険会社が横浜で営業していた。 こちらでも記載したとおり、日本初の保険会社である東京海上(今の東京海上日動火災)は、その当時、貨物保険のみを取り扱っていた。

 

その後の1883年より船舶保険の取扱いが始まった。産業の発展を背景に損害保険の需要は高まり、保険会社の数が増加すると、競争も激しさを増した。結果、生命保険会社同様、相次いで経営危機に陥った。

 

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関東大震災と損害保険について

 

損害保険会社は、1900年に公布、施行がされた保険業法でも厳しい規制を受けることとなった。また、大正時代に発生した関東大震災の影響により、損害保険会社の多くは、経営難を理由に整理統合に追い込まれた。

 

当時においても地震を原因とする火災については火災保険の対象から外されていたが、震災による被害の大きさと、地震免責への国民の理解不足から、政府を巻き込んでの重大な社会問題となり、保険会社はその被害者に対し、見舞金という形で、保険金額の10%を限度とした補償金を支払い決着した。

 

 

モータリゼーションと自動車保険について

 

東京海上が1914年に営業許可を得て取扱ったのが、日本における自動車保険の始まりであった。当時、国内における自動車の保有台数はたったの1000台ほどで、自動車事故の件数も少なく、保険の販売先も限られた得意先企業のみであった為、国民の間での認知も低いものだった。戦後における経済復興の結果、住宅着工件数や自動車の数も増加し、企業の設備投資も増加した。

 

特に自動車産業は、戦後間もない頃はトラックなどを始めとする業務用車両の小規模な生産にのみだったのが、1955年、国民車育成要項が完成し、6年後には割賦販売法が制定され、モータリゼーションは一気に拡大し、1963年には、100万台を突した。自動車の増加に伴い、交通事故の件数も増加した為、強制保険として自賠責保険(自動車損害賠償責任保険)制度が制定され、損害保険は、火災・海上保険から自動車保険にその主力を移した



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