保険会社の戦後復興について

保険会社の戦後復興についての歴史

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保険会社の競争は昭和に入り益々激しさを増し、不正な募集活動が再び頻繁に発生するようになった。世間からの批判を浴びる一方で、新規契約の増加により、保険会社は資産を拡大させていった。

 

保険会社の戦後復興についての歴史

 

生命保険会社が統制下に置かれる

 

保険会社の資産は、1935年(昭和10年)の末には、全金融機関の資金量の10%を占め、保険業界は、日本を代表する金融機関として、銀行に次ぐ地位を確実なものとした。その後、時代は再び戦争へと突入することとなり、保険業界においても厳しい統制下に置かれ、大量の国債引受や、軍事産業への多額の投資を強いられることとなった。

 

政府による統制経済の強化と、国民の消費抑制を目的とした国民貯蓄奨励運動の推進により、「国民貯蓄は生命保険から」をスローガンとして生命保険業界も政府に協力した。

 

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再建する生命保険会社

 

敗戦後の経済復興として政府は、金融機関再建整備法に基づき、生命保険会社再建として、資産と負債を新旧の勘定に分け、旧勘定を整理し、新勘定にて再建整備を実行することとした。この時、多くの生命保険会社は、第二会社を設立し、新旧勘定の吸収をし、再出発を図った。

 

また、第二会社設立にあたり、会社の多くは株式会社から相互会社へと組織は変貌していくこととなった。更に、簡易保険の独占規定が1946年に廃止となり、月掛けによる集金制の小口保険の取扱いが民間の生命保険会社でも出来るようになった。

 

 

女性営業職員を大量採用した

 

月掛けによる集金制の小口保険の取扱いが民間の生命保険会社でも出来るようになったことにより、保険会社の多くがこの分野へと進出し、再建の第一歩を踏み出す結果となった。

 

また、デビット・システムの導入により、営業職員がある一定の地区(デビット)を担当し、担当地区における新規契約の募集と募金活動を同時に行うことが可能となった。終戦後における男性の労働力不足と、訪問販売という販売方法かま男性より女性向きであったこともその背景として挙げられる。

 

デビット・システムのほか、外務員一人当たりの担当範囲を広げたブロック・システムが昭和30年代から導入されたことによって、契約者と外務員の距離が縮まり、より身近な存在となった。そして、現代の保険外交員のように保険の募集、集金、保全サービスに加え、縁故者の営業員としての紹介採用までを一貫して担当する現代の保険外交の基礎が出来上がり、女性営業職員が多く採用されることとなった。



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