萌芽期の保険業

萌芽期の保険業はどうだったのか?

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日本においても、福沢諭吉の教えを学んだ生徒達を中心とし、保険事業の実現に向け動き出し、1879年(明治12年)、東京海上保険が日本初の保険会社として誕生した。

 

萌芽期の保険業はどうだったのか?

 

乱立した保険会社

 

1881年、福沢諭吉の教えを学んだひとりである阿部泰蔵により、明治生命(現在の明治安田生命)は、日本初の近代的生命保険会社として誕生した。更に、帝国生命(現在の朝日生命)、日本生命が後に続き設立された。

 

また、火災保険の分野では、「東京火災保険会社」(現在のNKSJホールディングス:旧損保ジャパン)が1887年に設立された。それから、1900年代初頭にかけ、株式会社としての生命保険会社や損害保険会社が全国各地にて相次いで設立された。しかし、その会社の多くは統計的な理論に基づいた保険事業と呼べるものではなかった。

 

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また、競争の激化を理由に無理な募集を続けた生命保険においては、国民からの厳しい非難にさらされることもあった。相次ぐ保険会社の倒産を背景に、保険事業における不正の取締りと監督強化を目的として、政府は1899年に商法を制定し、その翌年にあたる1900年には保険業法を制定した。

 

更に、保険事業の正常化と保険業界の健全な進化を保つことを目的に、1905年に生命保険会社談話会(現在の生命保険協会)を設立し、保険数理の専門家集団も組織され、模範普通保険約款(やっかん)も制定された。

 

 

国民の保険に対する理解が高まる

 

その後、日清・日露戦争により多くの命が失われたことにより、その遺族に対し保険金が支払われ、多くの国民に生命保険の必要性が理解されるようになった。日露戦争後の国内経済の回復により、順調に加入者も増え、生命保険事業は急成長とを遂げた。当初は、民間による生命保険会社の主な契約先は、中産階級における富裕層が中心であった為、低所得者層向けの小口保障手段が求められ、1916年に国営による簡易生命保険が誕生した。

 

また、1918年(大正7年)のスペイン風邪の大流行や、1923年に発生した関東大震災の発生などにより、多くの犠牲者が出たことで保険会社からの保険金の支払いも増加した。そうしたことから保険の目的と意義が更に強まり、国民の間において保険に対する必要性の認識が高まる結果となった。因みに、1914年(大正3年)には、自動車保険が発売された。



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