日米保険協議の決着と新保険業法

日米保険協議の決着と新保険業法

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1992年6月の保険審議会による報告書「新しい保険事業の在り方」の中では、新しい保険制度への切替について言及しています。少子高齢化と多様化する保険リスク、保険マーケットの拡大、さらには金融自由化・グローバル化などの環境の変化は著しい。だから早急に、保険事業を巡る経営環境に合わせる必要があるのです。

 

日米保険協議の決着と新保険業法

 

保険制度の改革の本質

 

1992年の保険審議会での答弁をまとめてみましょう。行政監督の上での新しい経営指針として、支払い余力(ソルベージ・マージン)基準を設定すること。保険料率と新商品開発における目標は、自由化・弾力化とすること。保険仲立人であるブローカー制度を導入すること。これらが述べられています。

 

さらには1994年の答弁でも、改正法案の骨組みは規制緩和に向けた内容であることが述べられています。「健全性を保つこと」「自由化と規制の緩和」「公正なる事業展開」の3点が改正案の土台です。1995年の国会審議の後、1995年6月には新保険業法の公布がなされ、翌年4月に施行となりました。

 

 

日米保険協議の始まり

 

アメリカのクリントン大統領が、1993年に開催された東京サミットの際に来日しました。そして、当時の首相である宮沢喜一との会談の席で、「日米包括経済協議」をまとめます。この中には、規制緩和と競争において優先するのは、政府調達・自動車・自動車分野に並び、保険分野であることを取り上げます。東京サミット以降1994年10月まで、16回にも及ぶ協議を重ねた結果、日米保険交渉がやっと決着します。そして、「日本国政府およびアメリカ合衆国による保険に関する措置」が調印されたのです。



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