再び炎上する日米保険協議

再び炎上する日米保険協議について

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日米保険協議が再開されたのは1995年の秋、新保険業法が施行されるわずか半年前のことです。国内における大手の生命保険・損害保険が子会社を設立し、それぞれ第3分野の保険に進出しようとしました。第3分野は米国系保険会社の収益源ですから、アメリカ側が再度危機感を覚え、再協議を申し入れたのです。

 

再び炎上する日米保険協議について

 

従前の日米合意事項

 

1994年に日本・アメリカ両国で合意を得たのは、以下のような項目です。日本側においての、商品・保険料率の自由化。ブローカー制度の導入と第3分野への相互乗り入れ。また、免許や商品の認可基準を明確化すること。保険制度を改革する上で、日本以外の保険会社から意見徴収をすること。保険の申請や届け出に関する手続きを明らかにすること。

 

このような項目が要求され、これら全てが新保険法でも準拠されています。日本の大手保険会社は、新保険業法に対する構えとして、次々と子会社を立ち上げ開店準備を始めます。これに触発されて日米保険協議が再燃しました。

 

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第3分野における規制緩和の維持

 

結局、米国側の言い分は、第3分野に参入するには、第1分野・第2分野の規制緩和が条件だということ。第1分野と第2分野の商品・保険料率の完全自由化を要求すると同時に、第3分野に限り規制の維持を求めたのです。1996年の日米外相会議を発端として、交渉期限を何度か年内に設定するものの、合意には及びませんでした。

 

一度は交渉打ち切りの事態にまで発展。米国側は「通商法301条」を盾にし、交渉は難渋したのでした。



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